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	<title>天の窓がひらいたら</title>
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	<description>ふと上を見上げると涙は拭われ</description>
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		<description>ひとたび天の窓が開かれると、もう涙は拭…</description>
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			<![CDATA[ ひとたび天の窓が開かれると、もう涙は拭われ、悲しみも、叫びも、痛みもない。
ただ、永遠という深い安息の中に、本来の居場所を見つける。
聖にして、その極み。最も深い聖所の、奥まった部屋。
至聖所に臨在される方、主イエスキリストとの永遠の交わりが始まる。
そして、私達はこの地上に生きていながら、天に生きるように生き始める。
永遠にすべきことをするために。
今この時この地上でしかできないことをするために。
主イエスがこの地上をそのように歩まれたように。
私達は生き始める。

これが主イエスにより救いを与えられた者、クリスチャン(｢キリストのもの｣という意味)の生き方。
救われて、洗礼を受けてどこに向かって歩んでいるのか目的を見失っている兄弟姉妹が多く居られる。
それがこの国のクリスチャンの現状です。
救われるまで丁寧に導くことができるけれど、その先の主が私達にどのように生きることを望んで、この地に遣わされたのかを教えられない。
むしろ毎日の道徳生活や、教会というコミュニティーでの生き方を指導されるけれど、聖書から主が教えられる、本来の主から与えられた新しい命、この永遠の命の本質的な意義もわからず、ただ神学的知識としての認識に閉じ込められた信仰に渇きをおぼえる。
聖書に確かに語られている生きた神との命に溢れるダイナミックな交わり、生き方を望んでいる。

主の命の生きていない宗教であれば、なるほどクリスチャンは面白みのない、無味乾燥な、苦しいだけの宗教でしょう。
<span style="font-weight:bold;">
信仰の深みを知り、主にある最も有意義な人生を歩みたいと思いませんか?</span>

深遠なる聖書の生きた真理を求める方にお送りする、御言葉からのメッセージを中心にしたページ、それがこのページのメインコンセプトです。

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		<dc:date>2018-10-21T03:48:47+09:00</dc:date>
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