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【ピリピ1:6】
1:6 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。

全ての良いわざは主から始まり、主により完成します。
私達の何ものかによることはありません。
私達の思いつきも、主の元に持って行くのでなければ、それが主からのものであるのか、自分の思いからなのかもわかりません。
そのことが主が望まれることなのか、主が喜ばれるのか、それともそうではないのかもわかりません。

【箴言19:21】
19:21 人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。

そして、全ての動機がどこにあるのか、そのことはとても重要なことです。
それは自分自身の満足のためのものなのか、主の満足のためにそれを願うのか。

【2コリント5:14,15】
5:14 ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。
5:15 そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。

もちろん主の満足のみを求めると言っても、自分に喜びがあってはいけないという意味では全くありません。
主の喜ばれることを私達が願うとき、私達の心の内は主の喜びで満たされ、平安が満ち溢れるからです。
しかし、逆に自分を満足させるために神の名を使い、神のためにそれをするかのように大義名分を作ることを人はよくします。
残念ながら、そのような偽りを主が見逃されることはなく、また喜ばれようはずはありません。

【マタイ7:21-23】
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。

その動機が神だけの目的のものであれば、それが自らの手から離れても喜ぶし、また多くの人に賞賛されることなく、むしろ神の目だけを喜ばすものであっても、それを望むでしょう。

【マタイ6:1,4】
6:1 自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
 [中略]
6:4 すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

それがたとえ人の目には無駄に見えたとしても、神が喜ばれることのために自らの全てをささげることになっても、そのことを喜んで行うことでしょう。
(マリヤの香油,マタイ26:6-13、2枚のレプタ銅貨の寡婦,マルコ12:41-44、十字架,イザヤ53:2-6)

主は人の心の全ての奥底までをご覧になられ、その計画が主の思いにかなうものなのかを見極められます。
また人の思いを主の思いにかなうものとなることを願い、私達をその心ごと、思いごと導かれます。
だから、主はそのような人の心の全てをご存知で、その計画の全てを主の御手にまずゆだねることを願われるのです。

【箴言16:1-3】
16:1 心にはかることは人に属し、舌の答は主から出る。
16:2 人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、しかし主は人の魂をはかられる。
16:3 あなたのなすべき事を主にゆだねよ、そうすれば、あなたの計るところは必ず成る。

ここから神の良いわざが始められます。
この方が始められた以上、その全ては必ず神の手により完成されます。
なぜなら、神は「わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。(黙示録21:6)」と言われる方であり、この方が「事はすでに成った。(黙示録21:6)」と言われ、全てを完成されたからです。
この方を初めとするのであれば、主がその終わりを完成されるのです。
その過程において、人がどのように関与するとか、人の努力をどれほど必要としているとか、現実がどれほどその完成への道のりからかけ離れているように見えるとか。
そのようなことは一切関係がありません。
人はそのような目に見えることに心揺れ動き、その計画の完成への確信を揺らがせることがありますが、
全ては主が完成してくださるのです。
もちろん、この行程において、私達が何かしらの形でこの計画に参画し、その全行程を見ながら主の素晴らしさを仰ぎ見続ける、そのような光栄にあずかることもあるでしょう。
でも、主が私達に見せたいのは主の力、主の愛、絶大なる主の素晴らしさ、麗しさ、その栄光そのものであり、主は、愛する者にはこのようにするのだと、この全地にその絶大なるわざを見せつけられるのです。(エペソ3:8-11,17-21)
だから主は取るに足りない私達のうちに良いわざを始められ、ご自身の手によって、主が再びこの地に来てくださるその日までに、全てを完成してくださるのです。
そしてまさにそのとき、私達はこの地に「キリストと共に栄光のうちに現れ(コロサイ3:4)」、全ては主が完成してくださったわざに他ならないのに、私達の行いをもって、主は私達に報いを与えてくださるのです。

【エペソ6:8】
6:8 あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを、それぞれ主から受けるであろう。

【2コリント5:9,10】
5:9 そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。
5:10 なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。

だから主は私達にみこころのままに志を立てさせ、全てを完成に導いてくださる(ピリピ2:13)のです。
なんと素晴らしい、主のみわざ。
なんと麗しき主の栄光。
なんと大いなる主の愛。
それは主が私達をご自身の助け手として、キリストの花嫁として召されたからなのです。
主はご自身のみわざを、私達を通して現されることを喜ばれるのです。

さあ、臆することなく主の前に出て、心の内の全てを主にゆだね、主の喜びと栄光を求めて、祈って参りましょう。
ただ、主のみこころのみが全地になりますように。

※メッセージ内の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【マタイ26:6-13】
26:6 さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、
26:7 ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。
26:8 すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、「なんのためにこんなむだ使をするのか。
26:9 それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。
26:10 イエスはそれを聞いて彼らに言われた、「なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。
26:11 貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
26:12 この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。
26:13 よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。

【マルコ12:41-44】
12:41 イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。
12:42 ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。
12:43 そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。
12:44 みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。

【イザヤ53:2-6】
53:2 彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
53:3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。

【エペソ3:17-21】
3:17 また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、
3:18 すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、
3:19 また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。
3:20 どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、
3:21 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。

【エペソ3:8-11】
3:8 すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、
3:9 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。
3:10 それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、
3:11 わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。

【コロサイ3:4】
3:4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

【ピリピ2:13(新改訳)】
2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。
2015/06/11(木) 11:47 今日の聖書 PERMALINK COM(0)
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