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【イザヤ書 6:8】
わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。

アダムとエバの時代、人が最初に罪を犯した時代から、神は私達(人)に「あなたはどこにいるのか?(創世記3:9)」と呼びかけ、私達を探し続けておられます。
主から自らを隠し、背を向け、神の思いを無視して、自らの思い(欲求)のために生きる。そんな私達に主はこのように語りかけておられます。そして、ご自身のこの思いを共に担う者を探しておられるのです。
神が今も罪にさ迷える魂(人々)を、ご自身の元に導くために、自らの思い(欲求、肉)を退け、神のために生き、神のこの問いかけ(福音)を携えて、出て行く者達を求めておられるのです。
この地が罪に満ちれば満ちるほど、神は滅び行く人々に切実に語りかけようと、罪人達の破れ口に立つ者を探しておられます。
だから、主を愛する兄弟姉妹。
「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか。」という主のこの真剣な問いかけに、今手を止め、足を止めて、自分がどう答えるべきか、考えて欲しいのです。
なぜなら、この地がこの国が、主の忍耐を越えて裁かれるほどに、いつ罪を重ねてしまっているのか、つまり、いつまで主がご忍耐続けてくださるのか私達にはわからないのですから。
自らの平和を誇る前に、主の痛みを見つめて欲しいのです。
今日も共に「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください。」と告白を重ねましょう。
2014/10/23(木) 23:56 今日の聖書 PERMALINK COM(0)
【使徒の働き 1:8】
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。

神が私達に与える、担うべき神の計画はあまりに大き過ぎて、私達にはとても信じられないものばかり、とても負い切れないものばかりです。
それは聖書において、一個人に語られた主の計画の壮大さから見ても、とてもよくわかることでしょう。そして、その真理は今も昔も、聖書の時代も現代も、変わることは何一つありません。
この壮大な計画を人間の力でどうにかしようとするのであれば、とてつもない過ちを犯すこととなるでしょう。
神の力でしか実現することのできないことだからこそ、それが成就したとき神だけの栄光となるのですから。
主はこのように、主に自らの人生を捧げ、主に生涯仕えることを選んだ者達に、ご自身の大いなるご計画を担わせて下さいます。
それは、国を建て上げること、歴史を作ること、時代を作ること、世界を支えること。
大それたことを聞いているように感じますか?
しかしこのように神の計画は、主が再びこの地に臨まれ、この地を治める日が一日も早められるよう、私達教会を通じて、クリスチャンを通じて、押し進められていくのです。
そしてこれまでも、そのようにしてごく普通の人々が、世界を神の元に勝ち取って来た(世界宣教)のです。
もしもあなたが主から担わされているこの壮大な計画が、あまりに大きく感じられるのであれば、今日の聖句をそのまま自分のものとして受け取りましょう。この聖句は聖霊によるバプテスマを表す聖句です。
主イエスはご自身の名にあるように聖霊によりバプテスマを与えられる方です。
この「力を受ける」と言われる「力」は絶大な力を指します。無限の神が私達の内から爆発的に現れる力なのです。
聖書に語られた御言葉をそのまま信じる者、それが主イエス(ロゴス=神の御言葉であられる方)をそのまま信じる者です。そして、その現れを事実として著されているのが聖書の使徒行伝(使徒の働き)なのです。それは驚くべき姿ですが、それが変わることのない主の真実なのです。
疑うことなくこの聖句の約束を、欲しいと主に願い、そのまま受け取りましょう。
2014/10/23(木) 02:19 今日の聖書 PERMALINK COM(0)
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