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【使徒行伝7:28-43,51-53】
7:38 この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。
7:39 ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、
7:40 『わたしたちを導いてくれる神々を造って下さい。わたしたちをエジプトの地から導いてきたあのモーセがどうなったのか、わかりませんから』とアロンに言った。
7:41 そのころ、彼らは子牛の像を造り、その偶像に供え物をささげ、自分たちの手で造ったものを祭ってうち興じていた。
7:42 そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。預言者の書にこう書いてあるとおりである、『イスラエルの家よ、四十年のあいだ荒野にいた時に、いけにえと供え物とを、わたしにささげたことがあったか。
7:43 あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。それらは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう』。
 [中略]
7:51 ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。
7:52 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。
7:53 あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。

この神に逆らい金の子牛の偶像を作り、エジプト(世の型)に帰ろうとしたのは、神の選びの民とされたイスラエルでした。
それは神を知らない者達ではなかったのです。
さらに民に誤り導かれてその先頭に立ち、率先してこの偶像礼拝にイスラエルを導いたのは大祭司アロンでした。
信仰においては、モーセに次いで指導者中の指導者であるアロンがこれを行ったのです。
まさにこの時こそ、神がイスラエルの民を愛し、この律法に従えばあなたは神の宝の民となると言われる神の言葉を、モーセが神から授かっている真っ直中にいる時でした。この律法を元に、イスラエルは一つの民として、選民として歩みを始めるところだったのです。
しかし、この金の子牛を神とした時からイスラエルの民の神への背信が始まったわけです。つまり初めからイスラエルの民は神に逆らうところから歩みを始めてしまった。
だからこそ、「イスラエルの家よ、四十年のあいだ荒野にいた時に、いけにえと供え物とを、わたしにささげたことがあったか。
あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。それらは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。(使徒行伝7:42,43)」と、預言をもって主から厳しい指摘を受けているのであり、その結果として「だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう(使徒行伝7:43)」と警告されているのです。

そして、この同様の警告を今度はそのはるか後の時代、ステパノを通して、イスラエルの民に、神が語られた。
この言葉を聞いていたのは「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤからきた人々など(使徒行伝6:9)であり、「その上、民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し、彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。(使徒行伝6:12)」とあるように、イスラエルの中心的指導者がここにまた含まれていました。
この議会の席でステパノが聖霊によって語ったのが、今日語られている警告だったのです。

これは今の時代に全く関係のないことでしょうか?
使徒行伝の時代から大幅に時が過ぎた今のクリスチャンには全く語られていないことでしょうか?
いいえ、私達こそ、この内側に聖霊をいただいている者であり、聖霊の語りかけは常に私達に与えられているのであり、だからこそ、この言葉、使徒行伝7:51-53から目を背けてはならないのです。
そして、今の時代にもまた語られているのです。
あなたがたはまた聖霊に逆らい、主の思いを退け、自らの生活のみに心を使い、自らの満足のためにのみ神への信仰を語り、主の御言葉を無にしようというのかと。
もしも私達が主の御心を背けて、自らのことばかりに心奪われ、エジプトに帰ろうと心を使い、またエジプトに帰してくれる、自らの生活を満足させくれる金の子牛たる神を掲げて、聖霊の語りかけを退け、預言者の言葉を退け続けるのであれば、私達は再び預言者たるイエスを十字架に追いやるのであり、「6:4 いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、
6:5 また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、
6:6 そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能(ヘブル6:4-6)」となるのです。
そこに待つのは、「だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう(使徒行伝7:43)」となることでしょう。

これは冗談や喩えで語られていることではありません。
この国の国民をやがて外国の民々が引いていく。日本の国がこの外国の民に占拠される日というのも、今の日本の抱えている問題の未来像の中に見え隠れしています。
どのような未来が待つのかは、歴史の全てを司られる神に選ばれた民であり、この地上においてこの神の祭司とされた私達クリスチャンがいかに神に向き合うのかに関わっているのです。
多くのクリスチャンは今日明日のことを考え、語り、今日と同じように未来がやってくるであろうと高を括って、自らの都合のよい計画を自らの満足のために立てます。それは教会や教団、クリスチャンの全体の集まりにおいてもこれまで延々と変わることはありませんでした。
だとするならば、クリスチャンはかつてパウロが嘆いたように、この国においては、「人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない(ピリピ2:21)」と主に嘆かれても仕方ないのです。
しかし、神が私達をこの地に置かれた目的は「1:5 わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、
1:6 わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。(黙示録1:5,6)」とあり、「5:9 あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、
5:10 わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」とあるように、キリストと共に神の御心のままにこの地を統べ治めるためなのです。
そしてそのために、私達は救われ、天に国籍を持つ者(ピリピ3:20)でありながら、この地上に遣わされているのです。
なぜ主に選びの民として選ばれたのか、この本来の目的を私達が見失うのであれば、それはイスラエルが神の選民としての目的を失い、救い主イエスを自らの手で十字架にかけたのと同様に、私達も再び来られる主に逆らい、人の目にわかりやすく救世主に見える、私達の生活を満足させてくれる反キリストに従い、神の選びから自ら退けられた者になるということなのです。
これは恐ろしいことですが、現実にはすでに始まっていることなのです。
なぜなら、私達は変わらぬ信仰生活を送り、変わらぬ恵まれた日常を送るための言葉以外、つまりは私達が私達のためだけに生きることを語る言葉以外、受け入れることがすでにできなくなってきているからです。
それはすでに聖書に預言されていることに他なりません。

【2テモテ3:1-5,4:3-4】
3:1 しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。
3:2 その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、
3:3 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、
3:4 裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、
3:5 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。
 [中略]
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。

【1コリント10:5-12】
10:5 しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。
10:6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。
10:7 だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。
10:8 また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。
10:9 また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。
10:10 また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。
10:11 これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。
10:12 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。

【ユダ1:16-19】
1:16 彼らは不平をならべ、不満を鳴らす者であり、自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらう者である。
1:17 愛する者たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが予告した言葉を思い出しなさい。
1:18 彼らはあなたがたにこう言った、「終りの時に、あざける者たちがあらわれて、自分の不信心な欲のままに生活するであろう」。
1:19 彼らは分派をつくる者、肉に属する者、御霊を持たない者たちである。

もしも今の時代にあなたの思うままに生きさせてくれるあなたのための神が出てきたら、あなたはそれに従うでしょうか?
そのように目に見えてあなたに都合良く恵まれる神に導く指導者を、あなたは容易に神から来た者として受け入れ、従って行きはしないでしょうか?
それがかつての金の子牛であり、終わりの日の反キリストなのです。
誰が神のためにのみ生きることを願い、神の御心に真剣に耳を傾けるでしょうか?
この国が、イスラエルが崩壊した時と同様に、滅びの警告を受け、まさにその現実が目に見える形で刻一刻と目の前に迫っているのに、どうしてこの滅びからこの国を救い出そうとする神の御心のために生きることを放棄していられるでしょうか?
ここに必要なのはこの国の破れ口に立つとりなしの祈りであり、語られるべき福音なのです。
神の知恵が無き者がどうして、この国を滅びから救い出すように導くことができるでしょうか。
祈り無くして、どうして誤り続ける人に、神のあわれみ深き全能の知恵が授けられるでしょうか。
福音が語り出されること無くして、どうして日常的にソドムとゴモラのような罪の中に生きるこの国にあって、ツロとシドンのような道を歩み続けるこの国にあって、滅びから一人でも救い出されることがありましょうか。
あなたの人生は今この時神に従うこと無くして、どうしてこの国の滅びから自分一人免れることができるでしょうか。

【エステル4:13,14】
4:13 モルデカイは命じてエステルに答えさせて言った、「あなたは王宮にいるゆえ、すべてのユダヤ人と異なり、難を免れるだろうと思ってはならない。
4:14 あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救がユダヤ人のために起るでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」。

だから、愛する兄弟姉妹。共に祈りましょう。あなたが神の御心を受け取り、この国の滅びをとどめる一人となるために。
2015/03/13(金) 12:51 今日の聖書 PERMALINK COM(0)
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