【ヘブル11:8-16】
11:8 信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。
11:9 信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。
11:10 彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。
11:11 信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。
11:12 このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。
11:13 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。
11:14 そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。
11:15 もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。
11:16 しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。
アブラハムは一般に信仰の父と呼ばれるほど、ただひたすらに主を信じ歩み続けた人でした。
「受け継ぐべき地に出て行(ヘブル11:8)」くという彼の召しは何を犠牲としても、何も知らずとも、アブラハムを約束の地へ導きました。
ただ約束だけを持って、ただ主だけを信じ続けて、アブラハムはその召しにすべてをささげて生きたのです。
【使徒行伝7:2-5】
7:2 わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて
7:3 仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。
7:4 そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、
7:5 そこでは、遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。ただ、その地を所領として授けようとの約束を、彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。
たどり着いた約束の地において、アブラハムは幕屋に住み寄留者のように生活をし、実際にはまだその地は与えられませんでした。
また、数え切れぬほどの彼の子孫がこの地を受け継ぐことを約束されましたが、彼にはそれらのものは何一つ彼自身の肉体の目に於いては見えませんでした。
しかし、ただ一身に主を信じ続けたことにより、彼の信仰によって見えないものを見せる信仰の(霊の)目は、彼にはるかに大いなるものを見せていたのです。
「ゆるがぬ土台の上に建てられた都(11:10)」。
それは聖書の結論、「新しい天と新しい地(黙示録21:1)」の「聖なる都、新しいエルサレム(黙示録21:2)」であり、「天にあるふるさと(ヘブル11:16)」と言われる、私達が永遠のはじめそこから来て、とこしえの果てまでも主と共に住まう永遠の都。
ただ約束だけを握りしめ、主だけを信じ歩み続ける道のりは、時にあまりに遠く、待ち望むとはいかなることかと、途方に暮れることもあるかも知れません。
それほどに神の計画は壮大で、その受け取る約束をこの地上では見ることさえかなわないかも知れませんが、しかしただ一身に主のみを信じる信仰は、私達をこの永遠の都を望み見るまでに至らせるのです。
そして、そのあまりに壮大で完全、美しく輝き溢れ、いや筆舌しがたいほどの、この地では見ることのできない、地にあるものよりもはるかに良い天にある都を見た者は、この地上でどのように生きたとしても寄留者に過ぎないことを知るのです。
いや、この都を来たらしめる主の計画の一旦は私達の人生の歩みの中にあり、主が私達に与えて下さった壮大な約束は、この都を来たらしめるためのものであることを知るでしょう。
それが待ち望むということなのです。
【黙示録22:20】
22:20 「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。
私達をこの永遠の都に招き入れて下さる方が、この地に再び来られるのを待ち望む祈りは、こうして私達の約束の地への歩みの中に、いつも主にささげ続けられるものとなるのです。
それが私達の主への変わることのない祈りなのです。
【黙示録22:1-5】
22:1 御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、
22:2 都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。
22:3 のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、
22:4 御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
22:5 夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。
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